ひょいっと一歩、踏み出すブログ

底辺スカベンジャーM.D.研究者

ネットの世界で発言力の強い人=PCを使いこなす人たちと言うこと

世の中に、プライベートで毎日パソコンを起動させる人がどれくらいいるんだろう。
ハッキリ言おう。
パソコンやインターネットのことそのものに興味がある人種なんて、実際には本当に一握りしかいないんじゃないか。
ドイツの劇作家ブレヒトの言葉に「公衆がラジオを待望したのではなく、ラジオが公衆を待望した。」というものがある。パソコンだってインターネットだって、須くメディア、もっと言うならば技術そのものにこの言は当てはまる。片側通行のラジオが双方向のインターネットに変わっても、相変わらず「語りかけるべきもの」なんて無い。インターネットがどれだけ普及したところでインターネットそのものは変わらないし公衆だって変わらない。
でもこれって、アタリマエのことなんだ。
だって、公衆は「興味が無い」から。
Web2.0なんて騒いでるのはごく一部なんじゃないのか?
GoogleがスゴいとかAmazonロングテールの象徴だとかSNSだのソーシャルブックマークだのいろいろ言ってるけど、それはインターネットを「自称使いこなしている人達」が言っているだけで、公衆はべつにそんなことどうでもいい。具体的にどういう風に便利なのか、何がスゴいのか、説明しないとわからない。
だから、インターネットの世界でWeb論を語ったりパソコンが使えない人たちに対する文句を並べたところで、結局は内輪の狭い世界で愚痴りあってることにしかならない。一般ユーザーはなんでこんなこともわからないのか、なんで平気でこんな要求が出来るのか、なんで、なんで、なんで……
この構図は、違う世界に当てはめたらそのまま愚痴りあってる人たち自身にも当てはまるんじゃないのか?医者の世界から見たら、インターネット上で目立たないだけで同じように愚痴を言われている。患者はなんでこんなこともわからないのか、なんで平気でこんな要求が出来るのか、なんで、なんで、なんで……
同じ穴の狢同士で決して相手に届かない不毛な議論を続けるもよし、全てを受け入れて無我の境地に達するもよし。でもその前に、自分も違うジャンルから見たら「厄介者」の烙印を押されていることに考えを及ばせる必要がある。